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Posted by Eri Minami - 2014.09.02,Tue


今日から9月。まだパネルは届かない。

やはり少々焦り始める。

午前中買いものにでかける。

帰って昼食を食べてから夜七時頃までスケッチ。

アトリエの窓から隣のアパートが見えるのだが、

そのアパートがなんとも素敵でそこからの景色を描いてみる。

(こちらの住宅街、やっぱりなんだかそれだけで絵になる。

それぞれのお家のベランダにはよくゼラニウムが植えられている。

徳島の実家の庭にも母が植えていたが「これ臭いんよ~、増えて困るわ~」
と言っているイメージしかなかったのだが、なぜかこちらで見るといい雰囲気。

花のハツラツとした赤とピンクが抑えた色目の住宅街によく映える。)

近くのお店で買った安い色鉛筆で着彩。

その後ベッドルームの窓辺の様子をスケッチ。

明日はアクリル絵の具で着彩してみよう。

夕食の準備をしながら本を読む。

今夜はポトフにした。自分しか食べないので副菜まで作る気がしない。

西洋梨を切る。なかなかおいしい。

が「梨」が食べたくなる。あのみずみずしい「梨」が。

それにしてもこちらのプチトマト、4日経っても5日経っても、

プチッとしている。プチプチである。

日本のスーパーで買ったものなら2.3日もすればふにゃっとしてくる。

きっつい農薬のなせる技か?

時間の区切りがないので変な感じである。

早く個展の準備を進めたいけれど。。

焦るが、今日はスケッチして、少し落ち着いた。

今日の日記、徒然に書きすぎた。

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Posted by Eri Minami - 2014.09.01,Mon



ギュスターブモロー美術館の最寄り駅トリニティについた。

ここはそんな危険箇所とはどこにも書いていなかった。

が、人気が少ないのでまた私の中の注意信号がまた点滅する。。

しかしそのはずである。どうもパリのなかでは少々地味なスポットのようだ。

駅を降りて少し歩くと「Musee Gustave Moreau」と描かれた白い旗と青白赤のフランス国旗が

さりげなくはためいている建物がある。

ここがモローの美術館だ。

1898年の彼の死去に際し、自宅建物とその中に含む一切を、

美術館設立の為に遺贈して作られたそうだ。

ここには生前彼がコレクションした絵画や小物、ちょっとした家具などを置いてある部屋もあった。

その中には、日本の美人画もあったりして、やっぱり当時のパリの画家たちの間では、

ジャポネーゼはイカした趣向のシンボル的位置にあったのかなと思った。

もともとモローがここに移り住んだとき建てたこの建物は、ゆくゆくは美術館にするため、

大きな展示室も設けられたとのこと。

実際、その展示室に、結構な数の大作と夥しい数の習作やデッサンがところ狭しと展示されていた。

そしてその中には、有名な「出現」もあった。

あまりギリシャ神話に馴染みはなかったが、日本語の解説書があったので、

それを手がかりに見ていくと、とてもおもしろかった。

《解説書、、英語、仏語、日本語の三種類しかない。(ルーブルとか解説の言語はすごい選べるのに)

日本では60年代から企画展で紹介されることがちょこちょことあった為に結構知られているが、

世界的に有名になるのは80年代後半かららしい。来場者数の少なさからも納得である。》

それにしてもモローの「描き込み」と「抜き」の強弱のバランスは絶妙だ。

中には描きかけのものも多くあるらしいが、それも分からないくらい。

「出現」の絵の背景なんて、あいまいな色と線だけでバックの石彫部分は描かれている。

せっかく来たのでモローについて色々書かれた本を一冊購入。

「メルシーオウヴァー」と笑顔でさよならを言い、美術館を後にした。

総じて、ここは、雰囲気たっぷりの、とてもゆったりとした静かないい美術館だった。

(観客もほどほどに少ない)

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この4日間、警戒レベルを10にして歩き回った。

とりあえずミュージアムパスの使える見たいところはだいたい回ったかなと思い、

帰って計算してみる。。

凱旋門の塔に登らなかったので1ユーロマイナスであった。。(夫に細かいと突っ込まれそうだが)

モロー美術館安すぎ、5€。。

でも並ばず入れたのも多かったのでよしとする。

今日も無事アトリエまでたどり着けたことに感謝。

モローのデッサンに触発される。ちょっと焦ってくる。

私もそろそろ描かねば。いつパネルは届くのだろう。

明日から何か描く。

Posted by Eri Minami - 2014.09.01,Mon


こちらにきて一週間、ようやく身の回りも少し落ち着いたように思う。

今日は凱旋門と、ギュスターブモロー美術館に行く予定。

家族が随分と心配していたため、出発前さらに入念にパリの危険場所をチェックする。

やはり有名な観光名所は危険である。

シャルルドゴールエトワール駅を降りるとすぐ目の前に凱旋門があった。

が、塔に登るのはやめた。

だってもうパリの街はポンピドォーからもノートルダムからも一望できたから。

バッグを固く握りしめ、凱旋門やシャンゼリゼ大通りの雰囲気だけ味わうと

足早に立ち去った。

やっぱりここは日本人の女が一人でうろうろするにはあまり安全でないと感じた。

どうしても家族の元に無事帰らねばならない私は、警戒に警戒を重ねなければならない。

何かあってからでは遅い。

メトロには、観光名所近くになると、やっぱりなにやら怪しい目つきをした者や

ギャングと呼ばれるであろう少年たちがやはりいる。

ルーブルでは治安の悪化を理由に、美術館員がストライキを起こしたくらいだそうだ。

納得である。

だって美術館のメトロの駅周辺だけでなく、

美術館の中に入るとすぐ日本語で「スリに気をつけてください」というナレーションが流れるのだ。

中にまで入り込んでいるなんて、びっくりした。

入館料払ってまでスリするの??理解できない。。

世界一観光客の多い街とはいえ、ここ数年、その数は治安の悪化を理由にだいぶ減っているらしい。

シャネル、ディオールなど高級ブランドの加盟する委員会からも警鐘を鳴らされ、

中国当局すらフランス政府に解決策を要求し、

国も、警官を増強して配備するなど手を打とうとしているが、

なかなか手が回っていないとのこと。

うーんおそろしや。。調べてみるとますます怖くなる。

なるべく旅行観光客の子連れの家族なんかにくっついてメトロの線路を移動する。

そして次に向った先はギュスターブ モローの 個人宅の美術館。

Posted by Eri Minami - 2014.08.31,Sun


ここには日本人作家の作品はないものか、と少々しょんぼりしながら歩みを進めていく。

すると、ちゃんとあった。

「Asian art」と、少しではあるがコーナーがあった。

花鳥風月を描いたものや浮世絵の小作品が並ぶその先に、どーんと5枚。

藤田嗣治の絵が並んでいた。

なんだか涙が出そうだった。

日本を出発する前、藤田のことを少し深く調べていたからだ。

藤田はフランスで、一人で頑張っていたんだと思った。

それがちゃんと報いていた。

独特の上品な佇まいで、そこにあった。

サインを見てみる。

5枚のうち4枚は「巴里 嗣治Foujita」とある。

唯一戦後の1949年に描かれた一枚のサインは「foujita」とだけ書かれている。

当時、戦争画を先頭に立って描いた戦犯であると、

敗戦後すぐに藤田は日本中から非難を受け、その矢面に立たされ、

藤田は再びパリに戻り、フランスに帰化する。

日本の勝利を願い、戦争末期でも苦しみながら懸命に心血を注いで描いた絵は、

戦後は今もまだ大々的には一般公開のときを迎えていない。

画像は1949年に描かれた有名な「カフェ」。
この絵のサイン、私には非常に気の抜けた書き方に感じた。
だってそれまでの絵には、たいていきっちり漢字とアルファベットで、
キュッキュとサインしてある、、
おそらくこのころは、「日本人作家である私藤田嗣治が巴里に来て描いている!」
こんな気持ちで世界で初めて日本人作家として名を挙げるいう誇らしさを持って
このようにサインしていただろう。
しかし戦後フランスに帰化してからは「foujita」とだけ書くようになった。

フランスに帰化したときの藤田の失望感を思うと、、本当に切なかった。

藤田は自分のアイデンティティにどれだけ悩んだことだろう。

しかし藤田はまぎれもなく日本人の作家だ。

このコーナーの一角は明らかに作品に「水気」を感じる。

藤田の描く裸婦の乳白色の肌にさえだ。

アフリカやヨーロッパの作家とは違う質感を感じる。

やはり日本は、周りを海に囲まれた水の国なんだろうと思った。

作品にはその作家の全てが出る。

その作家の背負うもの全てである。

どんな境遇、環境、慣習のもとにあったか、どんな文化に育まれてきたか、

どんな佇まいで過ごしているか、どんな思いを持っているか、、、

私の作品には、私の込めたいものがちゃんと入っているだろうか。。

そんなことを考えながら歩いていると

建築家を紹介する展示のコーナーもあり、安藤忠雄の部屋を見つける。

見慣れた直島の建物を見てまたほっとする。

いろいろと物思いに耽りながらポンピドゥーを後にする。

今日は大人しくいつもの道で帰る。

Posted by Eri Minami - 2014.08.31,Sun


次に訪れたのはポンピドゥーセンター。

4階のミュージアムはコンセプチュアルアートが多かった。

私はこの種のものは少々苦手である。

作品の中に自分が入っていって、理解しようとしないと、

その作品はそのドアを開いてくれないから。

見る側には、優しくないアートだと思う。

もてはやされはするけれど、こういう人は実は結構多いんじゃないかなあとか思いながら歩みを進める。

そして内容も人種問題、人権問題をテーマにしたものが多く、

迫害を受けた人々の、自由を求める、痛々しいほどに切実な訴えや叫びが展示室には溢れかえっていた。

どの作品も、なんというか、切羽詰まっているものが多く、

見ていてとっても息苦しかった。。

その苦しさを引きずりながら上の階へ上がると、

マン レイ、レジェ、フェルナンディ、ピカソにマチス、オキーフ、、、etc

近代の作家の作品が多く展示されていた。(上がってすぐマン レイの写真があって、見てほっとする)

昨日までに先に、ルーブル、オランジュリー、を見て正解だった。

だいたいの絵画の変遷をたどることができたかなと思う。

結局ルネサンスの頃から、(いやもっと前から?)

ずーっとその時代ごとに、主流の、流行の表現の仕方があって、

時代ごとに作家たちはそれぞれがその手法において、それを打ち砕いてやろうと、

新しい表現を展開させていった。

結局コンセプチュアルアートなどは行くところまで行ってしまった表現なんじゃないだろうか?

なんだか珍しい、目新しいものを最初にやってしまったもの勝ちな感じがする。

もはやなんでもありな。。

それよりも私はやはりモネの絵が好きだし、

オキーフの絵が好きだし、ホッパーの描く影をカッコいいと思う。

まあ、芸術はそもそもその表現自体が自由で

誰かがその価値を認めれば、芸術としてそれはそれでいいんだろうけれど。

右の画像は世界のアート系の雑誌の表紙を並べたもの。
(見えないだろうけど真ん中ちょい右下に日本の雑誌「みづえ」がある)

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Eri Minami
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女性
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1982/09/24
職業:
絵描き
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写真
自己紹介:
2児の子をもつ絵描きです。日々のいろいろなことを徒然なるままにぽつりぽつりと書いていきます。
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