ここには日本人作家の作品はないものか、と少々しょんぼりしながら歩みを進めていく。
すると、ちゃんとあった。
「Asian art」と、少しではあるがコーナーがあった。
花鳥風月を描いたものや浮世絵の小作品が並ぶその先に、どーんと5枚。
藤田嗣治の絵が並んでいた。
なんだか涙が出そうだった。
日本を出発する前、藤田のことを少し深く調べていたからだ。
藤田はフランスで、一人で頑張っていたんだと思った。
それがちゃんと報いていた。
独特の上品な佇まいで、そこにあった。
サインを見てみる。
5枚のうち4枚は「巴里 嗣治Foujita」とある。
唯一戦後の1949年に描かれた一枚のサインは「foujita」とだけ書かれている。
当時、戦争画を先頭に立って描いた戦犯であると、
敗戦後すぐに藤田は日本中から非難を受け、その矢面に立たされ、
藤田は再びパリに戻り、フランスに帰化する。
日本の勝利を願い、戦争末期でも苦しみながら懸命に心血を注いで描いた絵は、
戦後は今もまだ大々的には一般公開のときを迎えていない。
画像は1949年に描かれた有名な「カフェ」。
この絵のサイン、私には非常に気の抜けた書き方に感じた。
だってそれまでの絵には、たいていきっちり漢字とアルファベットで、
キュッキュとサインしてある、、
おそらくこのころは、「日本人作家である私藤田嗣治が巴里に来て描いている!」
こんな気持ちで世界で初めて日本人作家として名を挙げるいう誇らしさを持って
このようにサインしていただろう。
しかし戦後フランスに帰化してからは「foujita」とだけ書くようになった。
フランスに帰化したときの藤田の失望感を思うと、、本当に切なかった。
藤田は自分のアイデンティティにどれだけ悩んだことだろう。
しかし藤田はまぎれもなく日本人の作家だ。
このコーナーの一角は明らかに作品に「水気」を感じる。
藤田の描く裸婦の乳白色の肌にさえだ。
アフリカやヨーロッパの作家とは違う質感を感じる。
やはり日本は、周りを海に囲まれた水の国なんだろうと思った。
作品にはその作家の全てが出る。
その作家の背負うもの全てである。
どんな境遇、環境、慣習のもとにあったか、どんな文化に育まれてきたか、
どんな佇まいで過ごしているか、どんな思いを持っているか、、、
私の作品には、私の込めたいものがちゃんと入っているだろうか。。
そんなことを考えながら歩いていると
建築家を紹介する展示のコーナーもあり、安藤忠雄の部屋を見つける。
見慣れた直島の建物を見てまたほっとする。
いろいろと物思いに耽りながらポンピドゥーを後にする。
今日は大人しくいつもの道で帰る。