4階のミュージアムはコンセプチュアルアートが多かった。
私はこの種のものは少々苦手である。
作品の中に自分が入っていって、理解しようとしないと、
その作品はそのドアを開いてくれないから。
見る側には、優しくないアートだと思う。
もてはやされはするけれど、こういう人は実は結構多いんじゃないかなあとか思いながら歩みを進める。
そして内容も人種問題、人権問題をテーマにしたものが多く、
迫害を受けた人々の、自由を求める、痛々しいほどに切実な訴えや叫びが展示室には溢れかえっていた。
どの作品も、なんというか、切羽詰まっているものが多く、
見ていてとっても息苦しかった。。
その苦しさを引きずりながら上の階へ上がると、
マン レイ、レジェ、フェルナンディ、ピカソにマチス、オキーフ、、、etc
近代の作家の作品が多く展示されていた。(上がってすぐマン レイの写真があって、見てほっとする)
昨日までに先に、ルーブル、オランジュリー、を見て正解だった。
だいたいの絵画の変遷をたどることができたかなと思う。
結局ルネサンスの頃から、(いやもっと前から?)
ずーっとその時代ごとに、主流の、流行の表現の仕方があって、
時代ごとに作家たちはそれぞれがその手法において、それを打ち砕いてやろうと、
新しい表現を展開させていった。
結局コンセプチュアルアートなどは行くところまで行ってしまった表現なんじゃないだろうか?
なんだか珍しい、目新しいものを最初にやってしまったもの勝ちな感じがする。
もはやなんでもありな。。
それよりも私はやはりモネの絵が好きだし、
オキーフの絵が好きだし、ホッパーの描く影をカッコいいと思う。
まあ、芸術はそもそもその表現自体が自由で
誰かがその価値を認めれば、芸術としてそれはそれでいいんだろうけれど。
右の画像は世界のアート系の雑誌の表紙を並べたもの。
(見えないだろうけど真ん中ちょい右下に日本の雑誌「みづえ」がある)