日本人として恥ずかしながら、私は北斎天才ぶりを、
ちゃんと分かってなかった。。
もう、すごかった。
若い時から晩年に至るまでの作品が700点以上展示してあって、
パリでは過去最多の作品数だそう。
風景、宗教画、北斎漫画、春画を含めた風俗画、に至るまで、もう、ありとあらゆるもの、
森羅万象を描いている。
その大展示の最後に北斎の言葉が記されてあった。
以下、wikipediaより
己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども 七十年前画く所は実に取るに足るものなし
七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶其(その)奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし
「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。
北斎、かっこ良すぎる。。
自らを画狂老人卍と称す。
北斎の生活ぶりは不衛生極まりなく、無作法で、
お金にも無頓着な為にずっと貧乏暮らしだったそうだけど、
なぜか作品には気品と凛々しさ、そして誠実さを感じる。
気位が高く、権力でも富でも動かない人物であったという、
描き手としてのプライドと、とてつもないその意識の高さ、
そして描く上においての謙虚さに、感動する。
会場は、やはり混んでいたけれど、
見られないほどではなかったので、早めに言ってよかった(それでも40分待ち)
その後画廊へ。
ここへ来るのは今日で最後。
今までなかなかゆっくりお話しできなかった画廊のヴァレリーさんと、
始めてちゃんといろいろ話せた。
日本人より日本のカルチャーシーンを知り尽くしているんじゃないかというほど
よくご存知でした。
小津映画から黒澤まで、
さらには先日「サムライ」というタイトルの、鎧兜や能面や、
また当時の侍を撮影した本物の写真を展示した企画展をある美術館に見に行った!
トテモキレイデシタ!!と教えてくれた。
なんか。。やっぱりうれしい。。
でも日本語勉強中のヴァレリーは、私に合わせてくれて、ネットで何度も何度も
単語を翻訳しながらの日本語での会話だったので、帰りには、
「ニホンゴ、ツカレマシタ~」とほんとになんか申し訳なかった。。
デモ、ハナセテウレシカッタデス!と最後は笑顔でお別れの挨拶。
アトリエに戻ると夜九時、夜に失礼かと思いながら、ナジャ、ジョホー夫妻のところに、
お礼の品とお別れのご挨拶をしにピンポン。
変な入れ違いがあっての、約3週間のブランクを感じさせない、
温かい夫婦揃ってのウェルカムぶりに、フランス人の神髄を見る。
またまたナジャのおいしいモロッコ料理をご馳走になり、おいしいワインに
さらにブラックベリージャムをのチーズをのせて食べるとトレビアン!
私の、「このジャム買って帰りたい、どこで買える?」との質問に、
じゃあ明日一緒に買いに行く?とナジャがまた誘いかけて、
ジョホーが明日は~だからだめだよ、と止めに入る 笑
あ!そうだったわ!みたいなやりとりがあって、、、
フランス人、決して悪気はないことがよくよく分かった。
言葉が分からない外国人の自分と、一生懸命分かるようにコミュニケーションとろうとしてくれる、
ほんっとにありがたいし、やっぱりすごくうれしい。
フランスで私に関わってくれた人々、メルシーブーク。。。
ってまだあと一日あるんだけど。